占い

占いは当たるのか?四柱推命のかんたん鑑定法②


四柱推命の命式は何を意味しているのか?

命式は右から、年柱、月柱、日柱、時柱と呼ばれる干支で構成されています。
下記の命式の場合、五行を計算して最も水が強くなり、水が〇、木が〇、金が〇、火と土が×となり、図のような〇×がつくことになります。地支の〇×は図のようになります。

そして柱ごとの解釈ですが、もし月柱が〇の場合、この柱は「職場」をあらわす部分なので、“職場運や家庭運がよい”と解釈することになります。
また四柱推命では天干と地支を分けて「天が気を表し、地が質を表す」といいます。この理屈に従って、さらに月柱を細かく説明することができます。そうすると“天から見て、職場運・家庭運がいい”となります。この場合の「天」は文字通りというより「周りから見て」と解釈します。ですから、“周りから見て職場運や家庭運がよい”となります。

また地支は禍福面を表し、「質」を表すとされています。これは「本人が幸せと感じているか否か?」ということです。他人からの評価ではありません。例えば売上に対して、実際の見入りを表したりします。具体的に儲かるとか、物質運があるかどうかを見ていきます。

そして、日柱の地支は配偶者をあらわします。ここが〇の場合「配偶者に恵まれる」と解釈するのが教科書的な鑑定です。

ざっくりと命式をどう解釈しているのかを説明しましたが、あくまでこれは教科書的な解釈で、これが現代人の実生活に当てはまるかというと微妙なところが多々あります。

例えば四柱推命の古典では甲の隣に丁が並んでいる命式を「木火通命(モッカツウメイ)」と言って「良い並び」と解釈します。「大樹が燃えて火になっている綺麗な並び」と言われるのですが、実際の人物と照らし合わせてみると、いい人もいれば悪い人もいる、というのが現実です。幸運な人生を送ってる人もいれば、トラブル続きの不幸な人生を送っている人もいるのです。「木火通命だから単純に、いい人だろう」ということは実際はありません。

古典的な解釈は現代人には使えない

同じように、四柱推命では「貴賤(キセン)」という言葉が使われます。例えば己のよこに丙がある場合、田んぼを太陽がサンサンと照らしている状態を表し「大地普照(ダイチフショウ)」と言われます。これを四柱推命では「貴の命式」と呼んで、“悪いことを考えない、清らかな命式”と言われています。
ところが、これも実際の人物と照らし合わせると、当たる場合と当たらない場合があるのです。この並びの人物で人をだましたり、詐欺をして自己破産した人もいます。
古典的な理屈は、当たる場合もあれば当たらない場合もあるというのが現実です。

結局、古典的な理論の最終目標は何かというと「吉と凶とに二つに分けなければならない」という発想なのです。これは一部のキリスト教的な二分思考と似ています。根底に同じものが流れていると思われます。

ところが実際の世の中には、完全な×、完全な〇というものは存在しません。ごちゃごちゃと融合しているのが現実の姿なのです。そもそも宇宙の姿が「吉と凶」が混在しています。「吉と凶」を別の言葉で置き換えると「陰と陽」となります。

例えば、男性の中にも女性ホルモンが流れていますし、反対に女性にも男性ホルモンが流れています。特にここ最近は性に関してボーダーレスな人も多くいることが、広く認知されるようになっています。ですから占いも「あなたは吉です。あなたは凶です」のように単純に二つに分かられるものではありません。

二分思考は使えない

もともと「何でも二つに分ける」という考え方は、西洋の一部のキリスト教的な発想と同じです。またこれは「この答えは正しくて、こちらは間違っている」という正解を求める思考にも根底に同じものが流れています。

キリスト教の原理主義といわれる考え方は、自分たちを絶対の善で、それ以外を悪として徹底的に排除する思考で、実際に魔女狩りや、十字軍戦争などでは多くの人が虐待・虐殺されています。一つだけを善とする思考は、えげつない結果をもたらしてきました。最近でもアメリカの正義の問題があります。「アメリカを非難する国は悪だ。北朝鮮、イラン、ベネズエラは悪だ」といった具合です。

実は占いも同じで、単純に「良い」「悪い」と判別する鑑定法ではろくな結果を生みません。もっと柔軟に思考することが幸せを呼び込むのです。